2026年8月26日

「大腸菌が大腸がんの原因になるかもしれない」――そんな驚くような研究結果が報告されています。
2026年8月、日本人の大腸がんを詳しく解析した研究が国際医学誌 Nature Genetics に発表されました。その結果、日本人の大腸がんの約半数に、一部の大腸菌が作る毒素「コリバクチン」によってDNAが傷つけられたと考えられる特徴的な“傷跡”が認められました。
さらに、40歳未満で発症した大腸がんでは、その割合が約70%に達していました。
では、「大腸菌がいると大腸がんになる」のでしょうか。
結論からいうと、そう単純ではありません。
そもそも「大腸菌」は悪い菌?
大腸菌(Escherichia coli)は、私たちの腸内に存在する身近な細菌です。
大切なのは、すべての大腸菌が大腸がんを引き起こすわけではないということです。
一部の大腸菌は「pks遺伝子群」と呼ばれる特殊な遺伝子を持っており、**コリバクチン(colibactin)**という物質を作ります。
コリバクチンは「遺伝毒性物質(genotoxin)」の一つで、大腸の細胞のDNAに結合し、DNAを傷つけることが分かっています。コリバクチンによってDNA鎖間架橋などが起こり、DNA損傷や突然変異につながることが基礎研究で示されています。
DNAには「犯人の指紋」が残る
今回の研究の面白いところは、現在、腸の中に大腸菌がいるかどうかを調べただけではないことです。
DNAが傷つく原因によって、遺伝子にはそれぞれ特徴的な変異パターンが残ります。
例えば、紫外線による皮膚がんや、たばこによる肺がんにも特徴的な変異パターンがあります。
同じように、コリバクチンによるDNA損傷にも、SBS88、ID18と呼ばれる特徴的な「変異シグネチャー」があります。
いわば、がん細胞のDNAに残った**「過去の傷跡」や「犯人の指紋」**です。
2020年には、コリバクチンを作る大腸菌をヒトの腸管オルガノイドに繰り返し曝露すると特徴的な変異パターンが生じ、その同じパターンが実際のヒト大腸がんからも検出されることが報告されました。
日本人の大腸がんの約45%に「コリバクチンの傷跡」
2026年に発表された日本の研究では、国立がん研究センター中央病院と大阪大学医学部附属病院などの大腸がん患者を対象に、がん細胞の全ゲノム解析などが行われました。
解析可能な非高変異型大腸がん183例のうち、82例(44.8%)でコリバクチンに関連する変異シグネチャーが認められました。
さらに、APC、BRAF、TP53など、大腸がんの発生・進展に重要な遺伝子にも、コリバクチンによって生じた可能性のある変異が確認されました。
特にAPC遺伝子は、大腸ポリープや大腸がんができる非常に早い段階で異常が生じることの多い重要ながん抑制遺伝子です。
つまりコリバクチンは、すでにできた大腸がんを悪化させるだけではなく、一部の大腸がんでは「がんが始まる最初の段階」に関わっている可能性があるのです。
若い人の大腸がんとの関係も
さらに注目されているのが、若年発症大腸がんとの関係です。
2025年にNature誌に掲載された世界11か国の大腸がんを解析した研究では、コリバクチン関連の変異は、若くして発症した大腸がんほど多く認められました。
40歳未満で発症した大腸がんでは、70歳を超えて発症した大腸がんと比較して、コリバクチン曝露を示す変異シグネチャーが約3.3倍多く認められています。
そして今回の日本人研究では、**40歳未満で発症した大腸がんの約70%**にコリバクチン関連の傷跡が確認されました。
さらに、この変異は1965年以降に生まれた世代で多いことも報告されています。
なぜ若い世代で増えているのかは、まだ分かっていません。
食生活、抗菌薬の使用、生活環境、腸内細菌叢の変化など、さまざまな環境要因が関係している可能性が考えられていますが、現時点では原因を一つに決めることはできません。
実は、がんになる何十年も前から?
今回の研究では、さらに興味深い結果が示されました。
コリバクチン関連大腸がんでは、がん発生の初期に起こる遺伝子変異が、10歳未満という幼少期にすでに獲得されていた可能性が示されています。
もちろん、「子どもの頃に大腸菌に感染すると将来がんになる」という意味ではありません。
ただ、腸内細菌と私たちの大腸粘膜との関係が、数年ではなく数十年という非常に長い時間軸で大腸がんの発生に影響している可能性を示した点は、大変興味深い結果です。
では、便を調べれば大腸がんのリスクが分かる?
「自分の腸にコリバクチンを作る大腸菌がいるか、便で調べればよいのでは?」
と思われるかもしれません。
しかし、現時点ではそれほど簡単ではありません。
今回の研究でも、コリバクチン産生大腸菌は便中での存在量が少なく、便のメタゲノム解析では捉えにくいことが示されています。さらに腸内細菌叢は時間とともに変化します。
一方、がん細胞のDNAに残った変異シグネチャーは、過去に受けたDNA損傷の痕跡です。
つまり、
「今この菌がいるか」と「過去にこの菌によってDNAが傷つけられたか」は同じではありません。
現在のところ、便からコリバクチン産生大腸菌を調べて、その結果だけで個人の大腸がん発症リスクを判定したり、抗菌薬で除菌したりする方法は、一般診療として確立していません。今後の研究が期待される分野です。
「大腸菌を除菌すればいい」という段階ではありません
ピロリ菌を除菌することで胃がんのリスクを下げられるように、将来は「大腸がんを起こしやすい腸内細菌を見つけて予防する」という時代が来るかもしれません。
実際、研究グループも、コリバクチン産生菌の検出、感染経路の解明、除菌などが将来の大腸がん予防につながる可能性を指摘しています。
一方で、現時点でコリバクチン産生大腸菌に対する確立した除菌治療はありません。
また、2025年にはマウスを用いた研究で、食物繊維が不足した食事ではコリバクチン産生大腸菌によるDNA損傷や大腸ポリープ形成が増え、水溶性食物繊維の補充によって抑制されたことが報告されています。しかし、これはまだ動物実験を中心とした知見であり、「特定の食物繊維を取ればコリバクチンによる大腸がんを予防できる」とまでは言えません。
今できる大切なことは「大腸がんを早く見つけ、ポリープの段階で治療すること」
腸内細菌と大腸がんの研究は大きく進歩していますが、研究結果を見て過度に不安になる必要はありません。
現在、私たちが実際にできる大腸がん対策として重要なのは、適切ながん検診を受けることです。
日本では、40歳以上の方には年1回の便潜血検査による大腸がん検診が推奨されています。便潜血検査が陽性になった場合には、精密検査として大腸カメラを受けることが重要です。
大腸がんの多くは、大腸ポリープ(腺腫など)を経て徐々に発生します。
大腸カメラには、大腸がんを早期に発見するだけではなく、前がん病変である大腸ポリープを見つけ、適切に切除することで将来の大腸がん予防につなげられるという大きな特徴があります。
「自覚症状がないから大丈夫」ではなく、便潜血陽性、大腸ポリープの既往、大腸がんの家族歴、血便や便通の変化などがある方は、一度消化器内科にご相談ください。
まとめ
今回の研究によって、
「大腸がんの一部は、何十年も前の腸内細菌によるDNA損傷から始まっているのかもしれない」
という新しい大腸がんの姿が見えてきました。
ただし、「大腸菌がいる=大腸がんになる」ということではありません。
コリバクチンを作る一部の大腸菌が、長い年月をかけてDNAに傷を残し、それが一部の大腸がんの発生に関わっている可能性が強く示された、というのが現在の正確な理解です。
将来的には、胃がんにおけるピロリ菌のように、腸内細菌を調べ、大腸がんそのものを予防する時代が来るかもしれません。
一方、今すぐできることは変わりません。
適切な大腸がん検診を受け、必要な方は大腸カメラを受けること。
そして、がんになる前の大腸ポリープを適切に発見・治療すること。
新しい研究を知ることと、現在確立されている予防を着実に行うこと。その両方が大切です。
参考文献
記事監修
監修者プロフィール
院長 東森 啓(ひがしもり あきら)
資格・所属学会
医学博士
日本内科学会 認定内科医・総合内科専門医
日本消化器病学会 専門医・指導医
日本消化器内視鏡学会 専門医・指導医
日本ヘリコバクター学会 ピロリ菌感染症認定医
日本カプセル内視鏡学会 認定医
日本消化管学会 専門医
日本医師会認定産業医
難病指定医
略歴・主な職歴
2008年 山口大学医学部 卒業
2016年 大阪市立大学大学院 医学研究科 博士課程修了
大阪公立大学 医学部 病院講師
香港中文大学 Prince of Wales Hospital 客員研究員
なにわ生野病院 副部長
ガイドライン作成・システマティックレビュー
H. pylori感染の診断と治療のガイドライン2024年改訂版 システマティックレビュー担当
薬剤性消化管障害ガイドライン 作成委員
消化性潰瘍診療ガイドライン システマティックレビュー担当
現在、東森医院の4代目院長として大阪市平野区で診療を行っています。大学病院・地域中核病院・海外で培った内科・消化器診療、内視鏡診療、研究の経験を生かし、胃カメラ・大腸カメラによる消化器疾患の早期発見、大腸ポリープの日帰り切除などに取り組んでいます。